1953年にランチアは3台のレーシングスポーツを製作した。D20、D23及びD24である。若くして父親のヴィンチェンツォ・ランチアからファミリービジネスを受け継いだ息子のジャンニ・ランチアは、栄光を取り戻すべく積極的にレースに参戦することを決意。それ以前から量産モデルによるレース参戦は行っていたのだが、高みを望むためには本格的なレーシングマシンの作成が必要ということで、その年のミレミリアに投入したのがD20であった。ピニンファリーナの美しいクーペボディを持つモデルであったが、ル・マンでのトップスピード不足など、戦闘力がライバルに対して劣るということで、より軽量化したスパイダーボディを纏ったモデルとして誕生したのがD23であった。