1980年代が終わりに近づくにつれ、当時の偉大なF1ドライバーたちの間では権力闘争が勃発した。アラン・プロストとネルソン・ピケがそれぞれ3度のドライバーズチャンピオンに輝いた一方で、ピケの同胞であるアイルトン・セナの脅威も、1988年に彼が初めてタイトルを狙ったことで明らかになっていた。それに比べれば、スクーデリア・フェラーリはただただ幸運を祈るくらいしかなかった。1988年シーズンはわずか1勝を挙げただけで、チームボスは抜本的な改革を余儀なくされ、ミケーレ・アルボレートとの契約は翌年以降更新されなかった。